SSブログ
ニャアコの回顧録 ブログトップ
- | 次の10件

命の別名・猫編 (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

「きゃー可愛いー[黒ハート]

職場の休憩室に貼った「里親になってくださーい」のビラを見たパートのお姉ちゃん達

は、必ずこう言った。

そして年輩のおばちゃん達は「4匹全部クロて珍しいな」と感心した。

だが、誰も「ウチが引き取ったるわ」とまでは言わなかった。


そんなこんなで数週間が過ぎても里親希望者は一向に現れなかった。

唯一、パートのおばちゃんが「知り合いが、長年一緒に暮らしてた猫が亡くなって

寂しがってる」という情報を持ってきたが、改めて確認してもらうとタッチの差で

新しい猫を迎え入れたとのことだった。

がっかりしたようなホっとしたような複雑な気分だった。


さらに数日後・・・

「なんや、まだ引き取り手は居らんのかいな」

別のパートのおばちゃんが聞いてきた

「そうなんすよ、子供の友達にも聞いてもらったりしとるんやけどね」

と、応えると

「まあそら、保健所に頼むしかないわなあ」

「・・・・・は?」

最初は言ってる意味がよくわからなかったが、要は「処分」するということらしい。

このおばちゃんの名誉の為に言っておくが、この人は俗に言う「悪い人」ではない。

むしろどちらかといえば「いい人」に属するタイプのおばちゃんだ。

70に近い年齢でも真面目に黙々と働いてくれるし、自分の家の畑でつくった野菜も

わざわざ私に持ってきてくれたりしてくれる、この発言も同情から言ってるのだ。

そんな、人間的に「いい人」ですら猫の命に対してはその程度の価値観だった。

私も無責任に産み増やしてしまった立場なので、決して このおばちゃんのことを

偉そうにどうこう言えないが、この時の会話はその後もずっと心に引っかかった。

命につく名前を心と呼ぶ

中島みゆきさんの歌の歌詞にあるように、たとえ人間とは違っても

そこに命がある以上、猫には猫の心があるのだろう

心を持って生れて来ながら、まるで物のように「処分」されてゆく・・・

そんな猫たちの声なき叫びが聞こえてくるようだった。


毎日、仕事が終わって家に帰ると、家族とニャアコと4匹の仔猫が待っている。

ニャアコ一家は別に私の帰りを待っていてくれてるわけではないのだろうが、

この2ヶ月、これが我が家の日常であり、ささやかな幸せだった。

これから先、娘や息子も大きくなるので経済的な壁が立ち塞がるだろう、しかし

今、ここで4姉弟を散り散りに引き離すとずっと後悔しそうな気がした。


やっぱり4匹ともウチで育てよう


真夜中の大運動会に備えてニャアコの傍で寝ている4姉弟を見ながら決心した。

妻は「大丈夫かいな、わたしゃ責任持てんからね」と言ったが反対はしなかった。



月のきれいな晩だった。

散歩がてらに一人で外に出た。

今から半年も前のことだけど、優しい春の夜風が吹いてたのを覚えている。

(つづく)

















この子らの幸せは・・・ (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

今年2月の、最も寒い時に生れた5姉弟

1匹はたった2日で天国に行ってしまったが、その兄弟の分まで4匹は頑張って

寒い冬を乗り切り、ようやく春を迎えた。

果たしてこの「おはぎ4姉弟」を離れ離れにすることなど出来るだろうか・・・


貧乏一家にとって経済的な問題はもちろんのネックになってはいたが、それ以外に

考えさせられることもあった。

もし、ものすごい猫好きで経済的にもゆとりのある人に引き取ってもらえたら、

定期的に検診なんかにも連れて行ってもらえるだろうし、ウチよりももっと大切に

育ててもらえるかもわからない。 これから先、ウチで過ごしたとしても最低限の

食べ物と寝床と家の中での安全という「外よりはマシ」程度の生活だろう、

兄弟離れ離れで可哀想というのは人間的な考えであって、いざ環境が変わっても

猫はきっと順応するに違いない、そうしたらやっぱりこの子たちにとっては、

その方が幸せなのかもしれない・・・いろいろ考えた。


こうして里親探しがはじまった

しかし本当に大切に育ててくれる人にしか渡したくなかったので範囲は狭かった。

夫婦お互いの職場の人か、その知人、もしくは子供の友達で親がちゃんと納得して

受け入れてくれる家庭。

希望者が現れたら直接会いに行って信頼できる人かどうか確かめようと決めていた。

そして、もし該当者が現れなかった時は運命だと思って4匹全部ウチの子として

育てよう。

ビラをつくって職場の休憩室に貼った。


この時、生後約2ヶ月

ほとんど同じ容姿なので誰が誰だか見分けがつかなかったが 皆、可愛かった。

里親希望者が現れたら、その人に選んでもらうことにしていた。

こんなことを書くと他の3匹に怒られるが、全員真っ黒な4姉弟のうち、唯一

ひと目見ただけで違いがわかり、やんちゃで愛嬌があってニャアコとは似ても

似つかない例の団子尻尾の子は手元に置いとくつもりだった。


里親に現れて欲しいような欲しくないような複雑な心境のまま、なんの変化もなく

数週間が過ぎていった。


(つづく)

P1000966.JPG

「里親になってくださーい」の ビラに使用していた写真











ニセ・物知り親父、衝撃の発見 (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

うららかな春の休日

6畳の畳の上を所狭しと駆け回りながら じゃれ合う4姉弟

そんな愛くるしい仔猫たちを見ながら妻が尋ねた

「お父さん、猫って親子とか兄弟で子供つくったりはしないんかなあ?」

私は答えた

「ないやろ・・・・・たぶん」


おそらく猫と暮らしている皆さんはこれを読んで「おい!」とツッ込んだだろう。


私も全く何の根拠もなく言ったわけでなく、仕事の帰りにTSUTAYAで立ち読みする

「猫の飼いかた」関連の本にそんなことは書いてなかった気がしたし、官能小説の

世界じゃあるまいし親子や兄妹で関係をもつなんて倫理観の欠如した人間様ぐらいの

もんだろうという変な自信があった。


「ふーん、じゃあウチの子らは大丈夫やね」

妻は、日頃から役に立たない雑学に中途半端に詳しい私の言うことを信じて納得した。


数日後・・・

しかしそうは言い切ったものの、やはり確実な情報を得て安心したいと思い、念の為

ネットで一応調べてみることにした。


猫は親子や姉弟同士では交尾しないか?

それっぽい件名を入力し検索する


「猫は親子や兄妹の血縁どうしでも・・・ですので注意しましょう」

「?」

何だ今のは?見てはいけない文章を見てしまったような・・・

きっと気のせいだろう、もう一度ゆっくりその一文を目で追った


「猫は・・・」

ゴゴゴゴゴゴ・・・(ジョジョ風の効果音で)

「親子や兄妹同士でも・・・」

ドドドドドド・・・

「交尾し、子供をつくります」

ド―ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!

「・・・」


な・・・なんてことだ・・・

この恐ろしい事実をジョースターさん・・・じゃなくて妻に伝えなくては・・・っ

このままだと・・・我が家は猫屋敷になってしまう・・・


それは、ディオのスタンド「ザ・ワールド」にドテっ腹をブチ抜かれ、その能力の

謎が「時を止める」ことだと死の間際に解き明かした花京院なみの衝撃だった



そのさらに数日後、妻にこの事実を話すと

「どんだけ知ったかぶりやねん、このオッサン・・・」

と呆れ果てられた。 新婚当時ならともかく今さら妻にどう思われても構わなかったが

仔猫たちの今後については大問題だった。


この時点で4匹のうち1匹だけオスのような感じだったが、あくまでも感じがする

というだけで、結局まだ4匹とも性別は定かではなく、発情期もすぐというわけでも

なかったが四つ子だけにほぼ同時になるのは明らかだ。

ニャアコを含めて避妊・去勢の手術費用など、急に現実的な問題が立ち塞がった。


それから何度も妻と話し合い、悩みに悩んだ結果、最終的な結論が出た。


4匹のうち2匹を里子に出そう

それが夫婦で出した結論だった。

(つづく)























行列のできる猫トイレ (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

日に日に暖かくなるにつれ4匹の子猫たちも活発になり、食事もニャアコの母乳だけ

だったのが、1歳までの子猫用の固形のキャットフードを食べるようになった。


最初はレトルトのペースト状のものを与えていたのだが、あきらかにそちらのほうが

美味そうに見えたのか、ニャアコが子供たちを押しのけ我先に皿に顔を突っ込んでいた。

人間界ではありえない光景だった。

そしていきなり固形に変えるのもどうかと思い、直接与えるのでなく温めたミルクで

ふやかしてから皿に入れて出すようにして徐々に慣らしていった。 

何だか、娘や息子の離乳食を作ってた頃を思い出した。


特徴のある団子尻尾の子以外は全く区別がつかず、いまだ性別もわからなかったが

4匹とも食欲もあり、元気に育ってくれているようだった。

そうなってくると気になるのが排泄の問題である。


母猫のニャアコは最初の1ヶ月くらいまで、家の前の大家さんの畑で用を足していたが

私が猫用のトイレを準備すると、ごく自然に順応してくれて感動したものだが、

果たして子供たちはどうだろうか?

やはり一匹ずつ躾けないといけないのだろうか?

4匹がそれぞれ自分勝手に家のあちこちで排泄するなど、考えただけで恐ろしかった。


が、しかしその心配は杞憂に終わる。

ある日、何気にニャアコ用のトイレが置いてある玄関の靴脱ぎ場を見ると、なんと

4匹が集合していて、そのうちの1匹がトイレの砂の上で用を足し、残りが

じゃれあいながら順番を待っているではないか!

それは本能なのかニャアコが教えたのか、一度も家の床で練習したわけでもないのに

全員がある日キチンとトイレで用を足しているのだ。

後で本などで調べてみると、さほど珍しいことではないそうだが、猫ビギナーに

とってはまるで玩具のような黒猫の子供が ちゃんと順番を待ちながら、時には

待ちきれず乱入して二匹で砂を掛け合いながら用を足している姿は、本当に

奇跡のような光景だった。


「何でぇこんん~なに、可愛いのかぁよぉ♪」

気がつくと無意識のうちに大泉逸郎さんが憑依し「孫」を口ずさんでいた。

孫・・・そう、わたしにとってこの子らは孫のような存在なのかもしれない。

本当に無条件で全てが可愛らしく、排泄してる姿までもが愛おしかった。



・・・だが、好々爺の如く目尻を下げながら子猫たちを眺めていられたのも

このころまでだった。

動物と暮らす者、特に複数の猫と暮らす者が常識として知っていなければいけない

内容を この直後に初めて知ることによって、おはぎ4姉弟は離散の危機にさらされる

のだった。

(つづく)

P1000950.JPG























また春に会いましょう (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

えー、今回はニャアコの回顧録とは名ばかりで、前回お知らせした通り 今は亡き
hideさんの「HURRY GO ROUND」にまつわる、ごくごく私的で誰得な思い出話を
だらだらと書いてみたいと思ってます。

何故、春になるとこの曲が愛しくなるのか・・・

hideさんが、ある日突然ファンの前から去ってしまったのは98年の5月2日。
当時、hideさんにもX - JAPANに対しても さほど熱烈なファンではなかったが、
「Endress Rain」や「TELL ME」は好きでよく聴いたり口ずさんだりしてたし、
「ROKET DIVE」はカラオケの十八番だったので、ゴールデンウィーク中に流れた
この悲報はショックだった。

それから半年後の11月、私は6年間、遠距離恋愛で交際していた今の妻と結婚し
家庭を出発するのだが、なんと住んでたアパートが取り壊されることになり、結婚
していきなり路頭に迷うことになる。
どこに住もうか困っていたところに「こっちで一緒に商売をやらないか」と言って
くれる人がいて、藁をも縋るおもいでその人の居るこの中国地方へと夫婦揃って
引っ越したのだが、なんとここでまさかの保証人というか詐欺に遭ったような形で
その人にトンズラされてしまい、新婚そうそう莫大な借金を抱えてしまった。
もちろん私の世間知らずが原因なのだが、何とも波乱万丈な人生の船出となった。

見ず知らずの土地、返済不可能な額の借金、まず何をしていいのかわからないような
お先真っ暗な状況の中、夫婦で職安に通う傍ら、なけなしの所持金から「ダイエー」
のCD売り場でhideさんの遺作となったアルバム「Ja,Zoo」を買った。
辛うじて住む家と、この地での必需品であるボロボロの軽自動車だけは確保して
いたので、家の中でも車の中でもずっと聴いていた。
前向きな歌詞でノリの良い「ROKET DIVE」は、常に私達どん底夫婦の応援歌だった。


年が明けて99年の1月だったか2月だったかに夫婦で神戸の私の実家に帰った際、
数年ぶりに親戚のおばちゃんに会った。
このおばちゃんは私の父の姉にあたる人で、95年に阪神大震災で被災するまで数十年
私の家族と同じビルの同じ4階に暮らしていて、特に心身共に欠陥があったわけでも
ないのに何故か生涯独身だった。
子供もいなかったので私も私の妹も実の子供のように可愛がってくれた。 幼稚園や
小学校低学年だった頃、親父が野球のナイター中継を見ていて「8時だよ全員集合」が
見れなかった時は同じ階の少し離れたおばちゃんの家に見せてもらいに行ったり、
親に怒られて家から放り出された時は、ほとぼりが冷めるまでおばちゃんの家でフテ寝
したりしたものだった。

震災後、ウチの家族と共に小学校で避難所生活を送っていたが、ウチの家族は県営住宅
の空き家に、おばちゃんはまるでコンテナのような仮設住宅へとそれぞれ別の地区に
離れ離れに住むことになった。
あとで聞いた話では、この仮住まいの抽選があった時、本当はおばちゃんが県営住宅に
当選して、仮設住宅にはウチの家族が入ることになってたらしいが、両親と妹の3人で
仮設は大変だろうと県住の当選の権利をウチに譲ってくれたそうだ。

その後、おばちゃんもだいぶん遠方ではあったが まともな住宅に移り住むことが出来、
さらにその数年後、最終的に新しく建てられたマンションに引っ越すことが出来た。
この99年の帰省はそのお祝いも兼ねてのことだった。


おばちゃんの引越し先の近くの料理屋で、私の両親と妹、おばちゃん、そして私たち
夫婦でささやかな引越し祝いをした。
結婚してから会うのは初めてだったが震災前に何度か2人で会いに行っていたので
おばちゃんは私たちの家庭出発を喜んでくれ、同時に「こんな生活なので結婚祝いを
出してあげられなくて申し訳ない」と言った。
もちろん私たち夫婦はその言葉だけで充分だった。

料理屋から出て現地解散する際、おばちゃんが近づいて来て私のコートのポケットに
両親に見つからないように何やらねじ込んだ。

そして帰り際に私たち夫婦に
「春になって暖かくなったら今度は2人でゆっくり遊びにおいで」と言ってくれた。

おばちゃんが私のコートのポケットにねじ込んだのは5千円札だった。
厳しい生活の中で精一杯のお祝いだったのだろう。

そしてそれがおばちゃんを見た最後の姿だった。


2ヶ月近く経った3月の終わりに実家から「おばちゃんが亡くなった」という連絡が
あった。
約束していた春はもうそこまで来ていたというのに。



あれから13年、縁もゆかりもない土地で莫大な借金を抱え転職を繰り返し、いろんな
方々に助けられながら、妻と3人の子供と5匹の猫と共に暮らす今も、アルバム
「Ja,Zoo」は大切に聴いている。
そして季節が春になり、心優しきミュージシャン、hideさんが「また春にあいましょう」
と歌い残して去ってしまった「HURRY GO ROUND」を聴くたびに、優しかった伯母を
思い出すのでありました。




最後まで読んで下さった方へ
こんな支離滅裂で変な文章に付き合ってくださり本当にありがとうございます。
次回はガラっと雰囲気を変えて
「行列が出来る猫トイレ(ニャアコの回顧録・平成24年4月)」でお待ちしてます、
次回もまた、見てくださいねー[黒ハート] んがくく



































































思い出は歌と共に (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

4月になった

部屋の中に居ても息が白くなるような、そして5人家族と5匹家族の大所帯に対して

暖房器具が小さなファンヒーター1つだけという、ボロ家に住む貧乏大家族にとって

本当に待ち焦がれた春が訪れた。


神秘的な蛍光イエローの膨らみを灯していた木蓮は 大きく咲ききった後、玉ねぎの

皮のようになって散ってしまい、入れ替わるように桜が満開になった。

そして川の土手には色とりどりの花が咲き乱れ、川面には散った桜の花びらが花筏に

なってピンクに染めながら流れてゆく・・・絵に描いたような美しい風景だった。

暖かな日差しの中を、ただブラブラ散歩してるだけで「生きている」という喜びに

満たされるような、この季節が大好きだった。


よりによって最も寒い時期の、一番 雪がたくさん積もった時に生れた4姉弟たちは今や

狭い家の中を奔放に動き回り、1歳未満用のキャットフードを食べるようになっていた。

まだ、雄か雌かの区別もつかず全く同じ四つ子に見えたが、一匹だけ外見でわかる子が

いた。

他の3匹がニャアコ譲りのシャープな顔と容姿だったのに対し、後に「チー」と名づけ

られるその子だけは、何故か尻尾が短くまん丸で顔もタレ目で妙に愛嬌があった、

そして一番好奇心旺盛で、1ヶ月過ぎた頃からニャアコが食べてた「毛玉ケア用」の

キャットフードをちょっと目を離した隙にいきなり食べようとしたりして遠ざける

のが大変だった。

母親に全く似てない容姿と、ヤンチャな性格でてっきり男の子だろうと思っていたら

実は女の子だったのだが、それがわかったのはまだ暫く先の話である。



猫と全く関係ない話になってしまうが、春になるとどうしても意識せざるをえない

歌がある、故hideさんの最後のナンバー「HURRY GO ROUND」だ。

(つづく)


次回の「ニャアコの回顧録」はニャアコ一家の出番はお休みで、この曲にまつわる

ごくごく私的で誰得な身内の思い出話になる予定です、ご了承くださいませ[夜]

P1000943.JPG

いまだにパっと見でわかるのはチーだけで、この写真も左は誰だか判りません[たらーっ(汗)]
多分イーライだな・・・おやすみ、よい夢を[黒ハート]


春の使者 (ニャアコの回顧録・平成24年3月) [ニャアコの回顧録]

[前回までの裏筋・・・じゃなくて、あらすじ]
平成23年9月、台風の去ったある晩、我が家の敷地内に右脚の折れた黒猫が
どこからともなく流れ着いた。
今にも死にそうな衰弱具合だったので冥途の土産にとミルクを飲ますと、その晩
からみるみる回復し、やがて頻繁に遊びに来るようになる。
我が家は、借家・低所得・喘息もちという絶対に動物を飼えない状態なので
家の中に入れることは出来なかったのだが、当時「ハチ」と名づけていたその
黒猫は、我が家へのかなり無茶な侵入を試み、無理だと悟ると今度は夜通し家の周りで
鳴き続けるという暴挙を連日繰り返した。
ハチを我が家で飼うべきかそれとも・・・
何日も悩みぬいた末、ついにハチを居候として我が家へと迎え入れたのだった。
その後、何度も改名を繰り返し最終的に「ニャアコ」という名前に落ち着いた黒猫は
まるでそれが約束されていたかの如く、我が家の一員となったのであった。

ウチの猫となりながらも元ノラの習性が抜けないニャアコは脱走を繰り返し、やがて
どさくさに紛れて妊娠し、そして今年2月17日、全員真っ黒の子猫を5匹出産した。
残念ながら2日目に1匹、亡くなってしまったが、残りの4匹は何とか無事にこの冬を
乗り切ろうとしていたのだった・・・


《これより本編》

3月も終わりの頃になると ようやく雪も降らなくなり 街なかでは蛍光イエローの

木蓮の花が灯るように膨らんで、厳しかった冬の終わりを告げようとしていた。

いよいよ待ちに待った「希望」の季節である。


おはぎ4姉弟のうち、なかなか片目が開かず、ひょっとしたら生まれつきこういう

病気なのかと心配していた子も、妻が濡らしたガーゼのような布で丹念に拭いてる

うちに何とか目が開くようになり安心した。

暖かくなってゆくのと同時に子猫たちも活発になってゆき、塒にしていた息子の

布団を飛び出し家のあちこちに歩き出そうとしはじめるのだった。


我が家の出来事としては長女の小学校の卒業式があったが、これは「身分相応の幸福」

という雑感ですでに書いてるので割愛する。


こうして3月が終わり、寒く辛かった冬にもやっと別れを告げれたのだった。

(つづく)

P1000210.JPG

これは特別編「家(ウチ)より永遠に」の記事で一度使った写真です
サイボーグ009のヨミ編のラストをパクった内容も、この写真も実にお気に入り
なのですが、まだこのブログがほとんど誰にも知られてない時だったので
もったいないから使い回ししま~す[わーい(嬉しい顔)]

P1000927.JPG

・・・で、コレが半年後・・・

おーベイビ~あの可愛かった仔猫ちゃんたちは一体どこに行っちまったんだ~[もうやだ~(悲しい顔)]

一同 「失礼にゃ!!!」




















ニャアコの回顧録(予告編) [ニャアコの回顧録]

ニャアコ 「そう、あれは今年の3月も末のことだったかしら・・・」

irodori   「あらニャアコ何やってんだ?」

ニャアコ 「え?何って、今度からニャアコの回顧録ってやるみたいだから、ちょっと

      ナレーションの練習しようと思って」

irodori   「ああ、あれか、あれはお前アレだぜ」

ニャアコ 「言ってることがよくわからないんだけど」

irodori   「悪りィ悪りィ、ニャアコの回顧録って大層なタイトル付けたけど、ホラ、

      あれだよ今までずっと書いてたやつの続きのことだよ」

ニャアコ 「ハイハイ、去年の9月からの出来事を書いてたやつの話ね」

irodori   「そうそう、ずーっと地味に続けてたけど先月から運動会の準備やら

      なんやらで大変で、もう書く気力がなくなっちゃって、チーたちが産まれた

      ところで話が止まっちゃったままなんだよ」

ニャアコ 「そうだったわね、すっかり忘れてた」

irodori   「だろ?目標9月でちょうど現在に追いつく予定だったのに気がつけばもう

      10月も半ばだぜ、下手するとズルズル年を越しちゃいそうなんでそろそろ

      ここらで再開しようと思ってな、だからせっかくだけどナレーションは

      なくても大丈夫だよ」

ニャアコ 「あら残念。あたしこう見えても近所の猫仲間からは”水田わさびさん”

      みたいね~って誉められてるのに・・・」

irodori   「ぷぷっ水樹奈々ちゃんや平野綾ちゃんじゃないところがミソだな」


P1000921.JPG

ちょうど子供たちがこのくらいまで大きくなったところから再開します

雑感なんかも挟みながら、ぼちぼちやってくので、おはぎ4姉弟の現在に至るまでの

話にもご期待くださいませ。


- | 次の10件 ニャアコの回顧録 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。