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また春に会いましょう (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

えー、今回はニャアコの回顧録とは名ばかりで、前回お知らせした通り 今は亡き
hideさんの「HURRY GO ROUND」にまつわる、ごくごく私的で誰得な思い出話を
だらだらと書いてみたいと思ってます。

何故、春になるとこの曲が愛しくなるのか・・・

hideさんが、ある日突然ファンの前から去ってしまったのは98年の5月2日。
当時、hideさんにもX - JAPANに対しても さほど熱烈なファンではなかったが、
「Endress Rain」や「TELL ME」は好きでよく聴いたり口ずさんだりしてたし、
「ROKET DIVE」はカラオケの十八番だったので、ゴールデンウィーク中に流れた
この悲報はショックだった。

それから半年後の11月、私は6年間、遠距離恋愛で交際していた今の妻と結婚し
家庭を出発するのだが、なんと住んでたアパートが取り壊されることになり、結婚
していきなり路頭に迷うことになる。
どこに住もうか困っていたところに「こっちで一緒に商売をやらないか」と言って
くれる人がいて、藁をも縋るおもいでその人の居るこの中国地方へと夫婦揃って
引っ越したのだが、なんとここでまさかの保証人というか詐欺に遭ったような形で
その人にトンズラされてしまい、新婚そうそう莫大な借金を抱えてしまった。
もちろん私の世間知らずが原因なのだが、何とも波乱万丈な人生の船出となった。

見ず知らずの土地、返済不可能な額の借金、まず何をしていいのかわからないような
お先真っ暗な状況の中、夫婦で職安に通う傍ら、なけなしの所持金から「ダイエー」
のCD売り場でhideさんの遺作となったアルバム「Ja,Zoo」を買った。
辛うじて住む家と、この地での必需品であるボロボロの軽自動車だけは確保して
いたので、家の中でも車の中でもずっと聴いていた。
前向きな歌詞でノリの良い「ROKET DIVE」は、常に私達どん底夫婦の応援歌だった。


年が明けて99年の1月だったか2月だったかに夫婦で神戸の私の実家に帰った際、
数年ぶりに親戚のおばちゃんに会った。
このおばちゃんは私の父の姉にあたる人で、95年に阪神大震災で被災するまで数十年
私の家族と同じビルの同じ4階に暮らしていて、特に心身共に欠陥があったわけでも
ないのに何故か生涯独身だった。
子供もいなかったので私も私の妹も実の子供のように可愛がってくれた。 幼稚園や
小学校低学年だった頃、親父が野球のナイター中継を見ていて「8時だよ全員集合」が
見れなかった時は同じ階の少し離れたおばちゃんの家に見せてもらいに行ったり、
親に怒られて家から放り出された時は、ほとぼりが冷めるまでおばちゃんの家でフテ寝
したりしたものだった。

震災後、ウチの家族と共に小学校で避難所生活を送っていたが、ウチの家族は県営住宅
の空き家に、おばちゃんはまるでコンテナのような仮設住宅へとそれぞれ別の地区に
離れ離れに住むことになった。
あとで聞いた話では、この仮住まいの抽選があった時、本当はおばちゃんが県営住宅に
当選して、仮設住宅にはウチの家族が入ることになってたらしいが、両親と妹の3人で
仮設は大変だろうと県住の当選の権利をウチに譲ってくれたそうだ。

その後、おばちゃんもだいぶん遠方ではあったが まともな住宅に移り住むことが出来、
さらにその数年後、最終的に新しく建てられたマンションに引っ越すことが出来た。
この99年の帰省はそのお祝いも兼ねてのことだった。


おばちゃんの引越し先の近くの料理屋で、私の両親と妹、おばちゃん、そして私たち
夫婦でささやかな引越し祝いをした。
結婚してから会うのは初めてだったが震災前に何度か2人で会いに行っていたので
おばちゃんは私たちの家庭出発を喜んでくれ、同時に「こんな生活なので結婚祝いを
出してあげられなくて申し訳ない」と言った。
もちろん私たち夫婦はその言葉だけで充分だった。

料理屋から出て現地解散する際、おばちゃんが近づいて来て私のコートのポケットに
両親に見つからないように何やらねじ込んだ。

そして帰り際に私たち夫婦に
「春になって暖かくなったら今度は2人でゆっくり遊びにおいで」と言ってくれた。

おばちゃんが私のコートのポケットにねじ込んだのは5千円札だった。
厳しい生活の中で精一杯のお祝いだったのだろう。

そしてそれがおばちゃんを見た最後の姿だった。


2ヶ月近く経った3月の終わりに実家から「おばちゃんが亡くなった」という連絡が
あった。
約束していた春はもうそこまで来ていたというのに。



あれから13年、縁もゆかりもない土地で莫大な借金を抱え転職を繰り返し、いろんな
方々に助けられながら、妻と3人の子供と5匹の猫と共に暮らす今も、アルバム
「Ja,Zoo」は大切に聴いている。
そして季節が春になり、心優しきミュージシャン、hideさんが「また春にあいましょう」
と歌い残して去ってしまった「HURRY GO ROUND」を聴くたびに、優しかった伯母を
思い出すのでありました。




最後まで読んで下さった方へ
こんな支離滅裂で変な文章に付き合ってくださり本当にありがとうございます。
次回はガラっと雰囲気を変えて
「行列が出来る猫トイレ(ニャアコの回顧録・平成24年4月)」でお待ちしてます、
次回もまた、見てくださいねー[黒ハート] んがくく



































































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コメント 4

青竹

いろいろな人生を送られたのですね。
人は試練のない人生など有り得ないのでしょう。
騙す人間はいつも心のどこかで怯えて生きなければ
なりません。
騙された方は、苦しみに追われどん底の中に
突き落とされますが、それでも青空の下を怯えて
生きることは無いでしょう。
ご家族やニャアコそれにおはぎ4兄弟に囲まれて
堂々と生きれる人生に幸多きことを祈念しています。
by 青竹 (2012-10-21 21:07) 

koume

優しいおばさんだったのですね。
読んでてジーンと来ました。
by koume (2012-10-21 21:09) 

マンチ軍団

素敵なお話感動しました。
by マンチ軍団 (2012-10-23 03:09) 

ちろる

hideさんも突然の訃報でしたね。
波乱万丈な中、
家族を守り抜くのは、
大変なご苦労だったでしょう。
よくがんばって今日までやっていらっしゃいましたね。

ステキなおばさんですね。
irodoriusagiさんの生きるエネルギーになってくれるような、
すばらしい方だったのですね。
今もirodoriusagiさんのことがきっと大好きなんでしょうね。
by ちろる (2012-10-23 12:09) 

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