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もうひとつの「生きる」 [オススメ]

「君は若い…健康で…どうして君はそんなに…
 そんなに君は活気があるんだ。私はそれが
 羨ましい。私は死ぬまでで…たった一度で
 いい、君のように生きて死にたい。
 私にはすることがある。私にはしなければ
 ならないことがあるんだ。
 だが…それが私にはわからない。
 君は知ってる。
 いや…知らんだろうが、君は知ってる。
 現に君は・・・」

「私は別に・・・」

「教えてくれ、どうしたら君のように
 生きられるのか」

「だって…ただ働いて、食べて…」

「それから!?」

「それだけよ」

「へ!?」

「ホントよ。だって私、毎日こんなもの
 (子犬のおもちゃ)を作ってるだけよ
 昔からのおもちゃみたい…懐かしい…」

ネジを巻くとテーブルの上でキャンキャンと
鳴きながら歩く子犬のおもちゃ

「こんなものでもね…作ってると楽しいよ。
 私、コレ作りだしてから、日本中の
 赤ちゃんと仲良しになったような気が
 するの。課長さんも何か作ってみたら?」

「あんな役所で一体何が出来・・・」

「そっか、あそこじゃ無理か・・・
 じゃ、あんなとこ辞めてどっか別の…」

「もう遅いよ」

一瞬の沈黙の後、自分の中で何かに気づく男
その姿を不思議そうに見る若い女性

「?」

「えへへへへへ」

「?」

突然、気が狂ったかのように笑う男の姿に
一瞬たじろぐ若い女性

「まだ遅くはない、無理じゃない!
 あそこでもやれば出来る!
 そうだ、やる気出せ、やる気を出せ!」

「・・・?」

呆気にとられる若い女性

「ああ、君コレ私にひとつ・・・」

女性が工場で作っていた子犬のおもちゃを
もらい、小脇に抱えて足早に立ち去る男

「私にも何か出来る…私にも何か…」


ドラマ版「生きる」より



いきなり長々と書いてしまいましたが、
今回は松本幸四郎さんが主演したドラマ、
「生きる」のネタばれ感想をお送りします。

ネタばれ…と言っても、オリジナルの
「生きる」はあまりにも有名な映画で、
世界のクロサワ、黒澤明 監督の代表作の
ひとつに数えられる不朽の名作なので
内容もラストもご存知の方が多いでしょう
から、ここでは大まかな紹介と私の好きな
場面を書いていきたいと思います。

IMG_20200406_134435.jpg

重厚なモノクロの画面と、何を喋ってるのか
聞き取りにくい志村喬さんの鬼気迫る名演が
印象的なオリジナルは「いかにも昭和」って
感じの舞台でしたが、リメイクされた本作は
画面もノリも、明るく軽い平成らしい雰囲気
でした。

妻に早くに死なれてから、男手ひとつで
育ててきた息子とその嫁からも邪険に扱われ
、何の楽しみもなく、来る日も来る日も
市役所で、文字通り「判で押したような」
仕事を続ける、生きる屍のような課長が
癌で余命わずかな現実を知らされて、一念
発起し、かねてからの住民の願いだった
公園の建設に、残された2ヶ月足らずの
人生をかける話。

映画版を最初に観たのは、まだ二十歳の時
で、何かの機会に強制的に見させられた
ということもあり、その暗さと、重さと、
志村喬さんの惨めな中年オヤジの熱演ぶり
に、気分がドーっとなって、感動よりも
「何ちゅうもん見させるんだ!」
という不快感のほうが強かったです。
しかし、それから10年近く経ち、いろいろ
と失敗や挫折だらけの人生で、私自身が
生ける屍へと落ちぶれてから、あらためて
何かの拍子でこの作品ともう一度出会った
時、涙なくしては観ることが出来ません
でした。
今では人生ベスト10に入る大切な映画です

…で、ちょっと前にTSUTAYAで見かけて
気になってたドラマ版を、この前やっと
借りてきたのですが、何ともう13年も前の
作品なんですねえ。

癌で余命を知って絶望する主人公が関わる
人物2人は
深キョン、深田恭子さんと、
我らが猫侍、北村一輝さん
深キョンはあまり演技が上手いようには
見えなかったんですが(ヲイ!)可愛らしく
て不思議な存在感がありました。
そして北村さんの濃いい顔は登場しただけ
で笑ってしまう!
娯楽や付き合いに無縁だった主人公を
華やかな夜の世界へ連れ回す彼の役は
映画版ではあっさりフェードアウトだった
けど、ドラマでは真面目一筋の主人公に
亡くなった自分の父親の姿を重ね合わせる
セリフがあったり、別れ際にあげた派手な
マフラーを、幸四郎さん演じる主人公が
亡くなる時まで着けてるという、若干
人情味のある演出でした。

さて、オリジナルの映画「生きる」と
聞いて、ほとんどの人は志村喬さんが
ブランコに揺られながら「ゴンドラの唄」
を歌うシーンを思い浮かべるでしょう。
確かに日本映画史上に残る名場面である
ことは異論の余地のない事実ですが、
ワタクシ個人的には、主人公が料亭か
どっかで、かつての市役所の部下で
今では玩具工場の流れ作業の仕事をして
る若い女性と話をするシーンが一番
好きなのです。

市役所に勤めていた頃とは違い、溌剌と
輝いて見える彼女に、なぜそんなに
生き生きとして過ごせるのかと尋ね、
主人公が残された生きがいを見つける
きっかけとなる大事な場面なんですが、
最初、何の関係もない女学生たちが
担任の女性教師の誕生会の打ち合わせを
してる様子を同じ画面の端で延々と映し
てるんですよ。
で、この子たち、主人公とこのあと
接点を持つんかなと思って見てると
別にそうでもない。
で、主人公が部下だった女性との会話の
中で、自分が成すべき事を悟る瞬間に
誕生会の主役の女性教師が到着して
女学生たちがハッピーバースデーの歌で
迎えるんですが、それがちょうど
死んだように生きてきた男が、生きる
意味を見出した、新しい誕生の瞬間を
祝福するように聞こえてくるという。
もうね、泣けて泣けて仕方なかったです。

結局、主人公とこの女学生グループは
最後まで全く関係なかったのですが(笑)、
ひとつの画面の中で、同じ空間で、
同時進行だった全く関係ないシーンが
ここまで見事にハマる演出を見て、
やっぱり世界のクロサワだ!と感動した
ものです。

ドラマ版ではこのシーンは平成らしく
高級レストランっぽい場所で、幸四郎
さんが使命に目覚め、店を飛び出て
いった後、女学生ではなく、客の女性
グループが入れ違いで遅れてきた友人
にハッピーバースデーを歌う演出でし
た。ちなみにこの記事の冒頭の長い
セリフはこのシーンの幸四郎さんと
深キョンの会話です。

そしてドラマ版も映画と同じように
失踪していた主人公が市役所に復帰し
、それまで他の課へたらい回しにして
いた公園の実現へ向けて、燃えて出発
する!
…というシーンの直後に幸四郎さんの
遺影が映って、50日後に亡くなった
というナレーションとともに、有名な
お通夜の場面へ。

実際に50日間、いかに主人公が公園
建設の為に奔走したのかを映すのでは
なく、お通夜の席での同僚たちの
目撃談として、残された命を振り絞る
姿が再現される演出も、初めて見た
時は斬新だなあと感動しました。

通夜の場で課長の最後の日々に感銘を
受け、俺たちもやるぞ!と決意した
ものの、数日経てばまたすぐに
やる気のない日々へと戻る同僚たち。
そんな中、亡き課長が命をかけて
住民の願いに応えて作った公園で
かつての上司を偲ぶ若い部下の役を
ユースケ・サンタマリアさんが、
イイ味だして演じてました。



今、自分が好きな事、生きがいに夢中に
なれる人は本当に幸福だと思います。
しかし、私を含め、せっかくの人生を
無駄に過ごしてしまってる人間は、この
課長のように死期を悟りでもしない限り
本気で「生きる」ことは出来ないの
でしょう。
でも、この課長のように、たとえ僅かに
残された人生でも、自らが生きる意味を
見出し、新しく生まれ変わった瞬間に、
どこからともなくハッピーバースデーが
聞こえてきたように、いつでも神様…
だかお天道様だかご先祖様かはわからない
けど、そんな存在が見守ってくれてる
感じがするのです。

人類史上、稀に見るコロナ禍の厄災で
明日が必ずあると言えない現在。
今日の命のありがたみを忘れそうな時
もう一度観たい作品です。






 


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