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運動会狂想曲 (ニャアコの回顧録・9月) [ニャアコの回顧録]

平成24年9月

おはぎ4姉弟、生後7ヶ月。


お盆が終わってから9月にかけて、町内の体育部長としての忙しさがピークを

迎えようとしていた。

わずか40日あまりの間に、町内の地蔵盆、地区のソフトバレーボール大会、

町内の運動会、地区の運動会と4つの行事をこなさなければならなかったのだ。

仕事が終わってから何度も部会を開いたり、地区の体育部長会に参加したり、

運動会のプログラム作り、選手になってくれそうな人への声かけ、毎日毎晩

多忙を極め、あまりの忙しさに、ニャアコと出会った1周年を祝う暇すらなかった。

どこからともなくやって来た黒猫と、田舎の秋を満喫しながら夢のような時間を

過ごした前年とはえらい違いだった。


このころの記事を見てみると面白いことに、疲労のピークに達してるにも関わらず

我がブログに訪れてくださる方が日に日に増えていくという不思議な現象が

起きていた。体は疲れていたが、気持ち的には妙に高揚してたのかもしれない。


で、地蔵盆とソフトバレーを、かろうじて何とか乗り切っていよいよ最大の難関、

町内の運動会が近づいてきた。

規模の大きさでは最後の行事となる「17地域対抗の、地区の運動会」のほうが

はるかに大きいのだが、何から何まで全て体育部長がプロデュースしなければ

ならない町内の運動会のほうが比べ物にならないくらい大変だった。

半年以上も前から会場を確保し、8月に入ってからは他の行事と平行しながら

準備をして、9月になると何度も徹夜をしながら当日に備えた。

何故か10数人いるはずの体育部員は前体育部長を含め全く手伝ってくれなかった。

そして迎えた運動会当日。

一睡もせずギリギリまで賞品の買出しなどをして準備に奔走したにも関わらず、

いざ始まってみるとかなりの不手際が目立ち、現場は混乱していた。

そのうち部員がキレて「何でわからない事は部員に聞いてくれなかったんだ!」と

私に対して罵倒し始めた。

いやいやいやいやお前らの方こそ勝手のわからないような者を無理矢理に部長に

しておいて何で協力はおろかアドバイスすらしないんだよ。そんなもんわかるわけ

ねえだろうが、ボケ!と言い返してやりたかったが、既に町内会長の開会の挨拶が

始まっていたので、もうそのままやっていくしかなかった。

終始、目を覆いたくなるような不手際の連続だったが、どうにかこうにか無事に

運動会は終わった。

なんとも理不尽で、ヒムロックで例えると「蔑みと憐れみに縛られた夜ー♪」ってな

感じだったが、せめてもの救いは裏方の惨状をよそに、参加した町内の皆さんが

「いい運動会だったよー」と喜んでくれたことだった。


そして、この2週間後に行われるはずだった地区の大運動会が、台風で中止に

なった為、これが体育部長としての最後の行事になった。














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コメント 1

のらん

町内運動会の仕切りって、職場のとかと違って、ものすごくタイヘンそうですね~
とりあえず、成功、ごくろーさまでした!!!
体育部長さんは、1年で交代できるんですか~?
by のらん (2013-02-16 12:25) 

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