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ほすぴたる酔夢譚(おっさん その11 ) [はたらく おっさん]

掃除屋を必要以上に呼びつけない。出来ることは極力、

自分達でする。余程 床が汚れてない限り、一度掃除した

病室のベッド移動後の床の掃き掃除は看護助手で行う。


看護部長が会議で決議して下さったおかげで ようやく

勝ち取った内容だが、実際果たしてそれが無事に守って

もらえるのかどうかが不安だった。

過去にも数回、総務にお願いして看護部に頼んでもらった

ことがあったが、やはり現場の看護部と事務系の総務との

間の見えない壁のようなものに阻まれ、ことごとく反故されるか

しばらくしてからウヤムヤになって、そのうち忘れ去られるか

のどちらかで、結局続かなかった。


しかし今回は違った。

やはり現場のトップである看護部長の決断であり、

師長会議での決定事項で文章化されてただけあって

きちんと徹底されていた。

本当に有難かった。


それは、大黒屋光太夫が漂流と流浪の末、遂にロシアの

エカテリーナ女帝から帰国許可証を受け賜ったシーンを

彷彿させた。(・・・ってオイオイ、怒られるでキミ)


怒られるのを承知で続けると、今回のシリーズで何気に、

尊敬する大黒屋光太夫の物語を紹介したが、実は結構

表面的な流れは似てなくもない気がしてるのだ。

もちろん、ものすご~~く低い次元での話しで広大な海原も、

壮大な大地も、異文化への理解も交流も、オーロラも

生命を脅かす恐怖もなかったが・・・。


いつもご自身の貴重な人生経験を交えて真摯なコメント

して下さる青竹さんが「周囲の理解や協力が皆無の中、

さまざまな否定の中を信じて歩むのは吹雪やブリザードの

中を耐えるのに似ている」という感想を残して下さり本当に

感激したが、その他にもエカテリーナ女帝への謁見に匹敵

するくらいの、看護部長の着任と交渉。艱難辛苦の末に

命がけで帰国した際の幕府のあまりな対応とその後の処遇を

思わせる、交渉後の会社の「いらん事すな」とでも言いたげな

態度と一部のパートさんの私への不信。そして引き抜かれて

看護助手になったパートさんは、ロシアの地で洗礼を受け、

ロシア人として生きることを選んだ2人の仲間を連想させた。


少し解説すると

さまざまな困難と逆境に屈することなく、相次ぐ仲間の死と

協力者の出会いを経て ロシアに辿り着いた時、光太夫一行は

6人になっていた。

そこで更に1人を失うのだが、残り5人のうち2人は病気に

罹ってもう助からないと思い込みロシア正教の洗礼を

受けてしまうのだ。

やがて最大の協力者、ラックスマンの尽力でエカテリーナ女帝

への謁見が実現し、そしてついに日本への帰国への扉が開かれる。

それは同時に洗礼を受けてロシア人になった2人の仲間との

別れでもあった。

いよいよ日本の地を目の前に待機中の船の上で1人が病で

息を引き取る。

最終的に祖国の土を踏むことが出来たのは光太夫と最年少の

磯吉の2名のみであった。


普通の物語だと、ここで家族と再会でメデタシメデタシと

なるのだが、なんとこの後さらに過酷な運命が彼らを

待ち構えていたのだ。


時は江戸時代中期、鎖国真っ只中である、彼らは見ては

いけない、知ってはいけないものに触れた存在として、

日本に帰って来ながら故郷に戻ることを許されず、江戸で

半軟禁状態の飼い殺しの余生を送るのである。


92年の映画ではロシアに残った2人の仲間のうち、

旅の途中で凍傷になって片足を切断し、病の中で洗礼を

受け帰国組に「置いていかれる」という、ある意味

最も数奇な運命を辿った庄蔵を西田敏行さんが熱演していた。

もう1人、現地の女性とイイ仲になってこれまた病の中で

洗礼を受け、ロシアに残る道を選んだ新蔵 役は確か、今は亡き

沖田のヒロくんがこれまた好演してたような(違ったかな?)


果たして光太夫たちの苦労や努力は無駄だったのか・・・

いや、決してそうではあるまい。

彼がロシアにいる間、「何としてでも日本に持って帰りたい」

と必死に得た現地の知識はその後、交友を持った蘭学者たちに

よって後世に残され、残りの生涯江戸から出ることは許され

なかったが、若くて可愛らしい奥さんをあてがってもらい

その後孫からは立派な人物も出たという。

そして彼の不屈のリーダーシップは二百年以上経った現在も、

沢山の人のお手本として綿々と生き続けている。




さていよいよ、ニャアコが全く出ないまま10回以上続いた

「はたらく おっさん」シリーズも、次回エピローグ

「どこかで誰かが・・・」でいよいよ完結です。






































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青竹

おろしあ国酔夢譚を読んでいながら、すっかり詳細を
忘れていました。
人生は簡単にはハッピーエンドにはしてくれません。
まさしく人生という言葉そのものが生きているかの如くに
人を飲み込んでいきます。
前回来日したエルミタージュ美術館展で、確か第七の波涛という名前だったかと思うのですが、荒海に乗り出す船を描いた作品がありました。
沖に漕ぎ出すには七つの大きな波を超えなければならないというものだったと思います。
人生もひとつの荒波を超えると、その先にさらに大きな荒波が待っているものです。
私もなぜ自分がここまで試練を受けるのかと思うことがあります。
もう十分、これ以上は耐えられないという状況に追い込まれていきます。
それでも、神は耐えられない試練は与えない、試練とともに逃れる術をも備えてくれるの言葉があるように、道は開かれるものだと思います。
by 青竹 (2012-07-23 00:24) 

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