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はたらく おっさん(その4) [はたらく おっさん]

「おろしや国酔夢譚」という物語をご存知だろうか?

まるでB'zの出世曲「太陽のKomachi Angel」のように、どこで区切るんだよコレ

と、つっこみたくなるタイトルだが、これは井上靖さん作の、史実を基にした歴史小説である。



以下、ウィキぺディアより

江戸時代後期の天明2年(1782年)、船頭・大黒屋光太夫をはじめとする17人を乗せ、

伊勢を出発した「神昌丸」は江戸に向かう途中で嵐に遭い、舵を失って8ヶ月の漂流の末

ロシア帝国の属領・アムチトカ島に漂着。4年後、彼らは現地のロシア人たちと協力し、

流木や壊れた船の古材などを集めて自力で船をつくり、カムチャッカ半島へ。

次々に仲間を失いながらオホーツクからヤクーツク、を経てイルークーツクへ、さまざまな

経過を経てついにロシアまで辿り着き、女帝エカテリーナ二世に謁見し帰国の許可を得て、

漂流から9年半後の寛政4年(1792年)、日本へと帰国する。

最終的に生きて祖国の土を踏めたのは光太夫と最年少の磯吉のみであった。



1992年に緒方拳さん主演で映画化もされたので知ってる方も多いのではないだろうか。

私は20年以上前、みなもと太郎先生の「風雲児たち」という漫画を通して、この光太夫という

人物を知り、その波乱万丈の人生と強烈なリーダーシップに憧れたものだった。


20数年経って平成23年の6月、10数人のパートのおばちゃん達を抱え、会社の無関心と

協力者が全くいないというピンチの中、病院の容赦ない無茶な要求の荒波に

大黒屋光太夫のような鉄の意志で立ち向かっていかねばならないのであった。

(いや、全然スケールちゃうし・・・[たらーっ(汗)]










はたらく おっさん(その3) [はたらく おっさん]

私が清掃の責任者に任命された派遣先の病院は10階建てで、病室だけでなく、救急外来、

リハビリセンター、デイサービス、在宅訪問看護の事務所、老人保健施設などなど・・・

あらゆるものを完備した総合病院だった。

これらを1日ですべて決められた時間内に掃除するのである。


「掃除の仕事なんて誰でも出来るやろ」と思われるかもしれない、確かに作業自体は難しく

なかったが、病院という施設は自分に対しても相手に対しても危険だらけだった。

ベッドの横の点滴に箒やモップを引っ掛けてしまわないように、床を拭いた際に患者さんや

職員さんが滑って転倒しないように、あるいはノロウィルスやインフルエンザの院内感染

など・・・

今までは自分だけがしっかりしてれば良かったのだが、これからは10数人のメンバーに

対しても責任をもってゆかなければならなかった。ある程度、覚悟はしてたがそれを遥かに

上回る大変さだった。


そしてこの病院内での清掃員の立場は、正直言って奴隷のようなものだった。

普通は病室など一日に一度掃除に入ればそれで良いのだが、ここは頻繁に患者の部屋

移動が行われ、ベッドを動かす度に「掃除屋さーん、お願いしまーす」と呼びつけられた。

一度終わった病室を、ベッドが替わったからといって何度も何度も呼びつけられ、たいして

汚れてもないのに何度も掃除させられ、昼休み以外、休憩時間なしにぶっ通しで働いて

いるにも関わらず、職員が呼んだ時にたまたま近くに居ないと「サボってる」と罵られた。

また看護士も看護助手も、ちょっとのことも自分達でするのを嫌がった、廊下にゴミが落ちて

たら「ゴミが落ちてますよ」と言って呼びつけ、自分達が溢したお茶や割ったコップの後始末

さえ絶対に自分達でやろうとしなかった。


もともと「鬼門」と呼ばれ忌み嫌われてる評判の悪い現場ではあったが、自分が責任者に

なってみて、ようやく理由がわかった。


まず、最初の契約の際に「この病院内の全ての美化に責任を持ちます」という抽象的な

内容を必須条件としてつけていた。

・・・今時、子供の仕事ごっこでも、もっと具体的な話し合いをするだろう。

これだけでも 「はあ!?」 と首をかしげたくなる内容だが、さらに凄いのは初代責任者が

「サービスで何でもやります!」と言って職員や看護助手達がやらなければいけない

雑用まで勝手に引き受けていたのだ。

職員が何もしなくなるのも当たり前だった。


それでもなんとかやってこれたのは専務や常務が協力してくれてたのと、同じ時期に

副主任になった女性が他人の1.5倍は動いて頑張ってくれていたからである。


しかし

2年ほど経った頃、専務が辞め、やがて常務も去っていった。

表向きの理由は「一身上の都合」だったが周りには「こんなアホな会社には居れん」と

宣言していた。実際二人とも体がボロボロになるまで会社のために尽くしていたのに

社長は全く働かないだけでなく身内と愛人の言うこと以外には全く耳を貸さなかった

ので、こうなることはわかっていた。この10年間、明らかに社長より優秀な人材達が、

会社を発展させるために尽力してきたにも関わらず、苦情処理などの都合の悪い仕事

ばかり押し付けるだけでそれ以外は一切のことを評価しようとしなかった。

こうしてキラ星の如き人材たちは社長を見限り去ってゆくだけでなく、独立し、やがて

商売ガタキとして立ちはだかっていった。


そして私が責任者に任命されて丸三年を目前にして副主任が辞めた。

私の味方は居なくなってしまった。

今年の6月のことだった。

(つづく)



























































はたらく おっさん(その2) [はたらく おっさん]

こうしてパチンコ屋の日常清掃から病院への日常清掃へと派遣先がかわった。

当然ながらパチンコ屋と病院では掃除の仕方や環境が全く違ってくる。

さまざまな病状で入院しておられる患者さんの病室を掃除に入る毎日は緊張の連続だったが

患者さんから「綺麗にしてくれてありがとう」と言ってもらえるのは嬉しかった。


パチ屋の時にはさほど感じなかったが、病院ではやはり掃除屋というのは相当、下に見られ

ているようだった、最初は被害妄想かと思っていたが実際こちらが挨拶しても完全に無視する

医師や看護士が、やたら多かった。

院内のあちこちに貼り出されてる「利用者さまの声」という投書に、毎回のように

登場する「看護士の態度が悪い」という内容がそれを物語っていた。


いくら不景気とはいえ、この歳になって掃除屋の仕事とバカにされるのは誰のせいでもなく

自分の責任である、なので どうせやるなら病院の職員さんや利用者の方たちから

「ここの掃除屋はちょっと違うな」とか、「ここの掃除屋以外には任せたくない」と思われる

ようになろうと決めた。


他の現場への応援と掛け持ちしながら1年半が過ぎた頃、会社からこの病院の掃除の責任者

に任命された。

この会社ではどれだけ頑張っても全く評価されず、苦労させられるだけなのがミエミエだったので

何度も断ったが「必ず協力するから」と専務と常務に説得され渋々引き受けた。


あとで聞いた話だが、この病院はウチの会社の十数件ある派遣先の中でも「鬼門」と呼ばれ

パートはおろか正社員すら行きたがらない、最悪の現場だったのだ。

(つづく)




はたらく おっさん(その1) [はたらく おっさん]

今までは私の仕事について、他人さまに自慢できるようなものでもないし、

知ってる人に読まれたらマズいこと書いたりするので、バレないように簿かして

書いてきましたが、さすがに仕事内容がわからないと書いてることがさっぱり

わからなくなってしまうので、今後は「某・総合病院に常駐する清掃員」の仕事の

内容として記事を読んでいただければと思います。

[ぴかぴか(新しい)]

今の清掃会社に入って今年で11年になる。

最初の頃は、若いニイチャン達に混じっていろんな施設やスーパーのワックスがけに

行ってたのだが、毎日違う現場で決められた時間内に作業を終わらせなければいけない

仕事よりも、決められた派遣先に赴き、毎日同じ作業をしながらその現場を管理してゆく

常駐のほうが性格的にも年齢的にも向いてるだろうと判断され、2年ほどするとそっちの

方を任されるようになった。


最初の派遣先はパチンコ屋だった。

パチやスロをやってる方ならご存知だと思うが、今のパチンコ屋は昔と違って外も中も

本当に綺麗である、女性客を確保するためには昔の見世物小屋のような店舗ではもう

生き残っていけないのだろう。

私の派遣された常駐先のパチンコ屋も、5階建てでホールが6つもあり、外観も店の中も

ホテルのように綺麗だった。

ここを開店前の朝8時から夕方5時までパートのおばちゃん達と掃除するのである。

夕方からのほうがお客さんが沢山来て汚されるように思うのだが、作業員の人数や時間

の関係上なのか、とにかく5時まで帰った。

朝からパチンコ屋に来る客なんているのかと思われる方がいるかもしれないが

何故か平日だというのに、連日開店前から沢山の老若男女が列をなして並んでいた。


雨の日も 、雪で大渋滞の日も、毎日毎日 往復2時間かけて現地に通った。

そんな日が4年続いたある日、突然「今度は病院の日常清掃に行くように」との指令が

下った。

それまでにも一度、別の現場の責任者として1~2ヶ月ほど違う場所に行かされたことが

あったのだが、このときはパチンコ屋のオーナーが

「彼(私ですね)を外すんだったら、お宅とは取引しない、別の清掃業者に替える」

と言ってくださり、戻されたのだが、ウチの会社はバカなので結局ほとぼりがさめた頃に

近くの業者に下請けに出してしまい、私が居なくなってすぐにバレて契約を切られて

しまっていた。

まあ考えかたを変えれば、そこまでして応援に行かなければならないほど、この病院の

現場もヤバいことになっていたのだ。


私のことをここまで信頼し、評価してくださったオーナーさんに申し訳なく後ろ髪をひかれる

思いだったが、かといってこの歳でパチンコ屋の従業員にしてもらうわけにもいかず、

泣く泣く 次の派遣先である病院へと向かうのであった。

平成17年の2月のことである。

(つづく)


































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