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インドからの手紙・後編 (平成24年1月)

実家が被災した阪神大震災から10年目に、何か人の役に立つような恩返しがしたいと、

申しこんで、縁を持った「教育里子」は奇しくも阪神大震災の年に生れた女の子だった。

そして彼女自身もスマトラ沖の津波によって、家と愛する母親を失った被災者である。

私の場合は震災当時20代半ばで、家が全壊しただけだったが、彼女の場合は10歳で母親も

亡くしている、その心の傷は量りしれなかった。

せめて学校に行くことで守られて、立派な大人になってほしいと願った。


「彼女があなたの里子の マリヤ・ルチアです」

最初にその団体から送られてきた内容には彼女のプロフィールと写真が添えられてあった。

被災直後に撮られたものだろうか、着ている服は有り合わせの物らしくブカブカで、ただでさえ

大人びてる顔立ちは思いつめた表情で、およそ10歳の少女には見えなかった。


それから年に一度、クリスマスカード兼ニューイヤーカードが送られてきた。

勿論、インドから直接に我が家に届くのではなく、一旦その団体を経由して届けられる。

まず、現地のスタッフがインド語を英語に訳してくれてるのだが、英語すら読めない私は図々しく

もその団体のボランティアの方に日本語に訳してもらってからウチに送ってもらっていた。


最初のほうこそ型通りの挨拶と、あなたの援助が頼りです、というお願いだけだったが、

3年、4年と経つごとに「学校の歌のコンテストで2位になりました」という近況とか

「算数が好きで、将来は銀行員になりたいです」という妙にリアルな夢まで書いてくれたり

インドの世界遺産、タージマハールのイラストを描いてくれた年もあった。

手紙やカードと一緒に写真も添えられていたが、年々 表情から険しさが取れ笑顔になって

いってるのがわかり、嬉しかった。

もともと整った顔立ちの美しい少女なのか、サリーのような衣装で写ってる写真などは

質素ではあったが、それはそれはまるで女優のような雰囲気だった。

そしていつも手紙の最後には感謝の言葉と「あなたの愛する娘、マリヤより」という言葉で

締めくくられていた。昔からタイガーマスクに憧れていた私は、ほんの少し「キザ兄ちゃん」

こと、伊達直人になれたような気がして喜びに満たされるのだった。


外国の郵便事情なのか、例年、手紙が届くのはだいたい2月に入ってからなのだが

今年は1月下旬にウチに届けられた。


特に変わったことは書かれてなかったが、16歳になって次の段階の学業に進みたいので

引き続き援助をお願いします、との内容があった。

勿論、快諾した。が、こちらの懐事情が怪しい月も今まで何回もあったので、まずその団体の

経理の方に相談して了承をいただいてからこちらから手紙を出した。



そしてまだ一度も会ったことの無い、そしておそらく会うことは無いかもしれない異国の愛娘に

幸多かれと極東の地から祈るのであった。

(おわり)





















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青竹

傷ついた人を癒すものは、周りの温かい手と
そして長い時間の経過なのでしょうね。
傷心の中にある者は、なかなか心を開いて
自分を委ねることが出来ません。
しかし、時間が経つことで氷が溶けるように
辛いことや悲しいことを飲み込んでいる塊が
少しずつ消えていきます。
それとともに、穏やかな平安な心が相手に
対して開かれるようになるのだと思います。
by 青竹 (2012-07-28 13:02) 

irodoriusagi

空楽さま 
いつもありがとうございます。

青竹さま
まさにその通りだと思います。
そういう人間になれるよう努力してゆきたいです。
by irodoriusagi (2012-07-29 00:04) 

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