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走れ息子 (後編) [オトンは厄年、息子は当たり年]

午後からの後半戦の前に昼食の時間になった。

会場である小学校のグラウンドに、それぞれの町内のテントが所狭しと

ひしめきあって、その中で沢山の親子が、それぞれ持ち寄ったお弁当を

楽しげに食べている光景は、賑やかで微笑ましかった。

テキ屋も大繁盛で、ちょっとしたお祭り気分である。


後半戦が始まって、いくつかの競技が終了した段階で、20チーム近い町内の

うち、優勝の可能性があるのは上位5チームほどに絞られていた。

最初のほうこそ「今年もダメかな」と諦めかけていた我がイロドリ町チームも

マラソンでの驚異的な点数の加算により上位グループに躍り出てからは、

常に2位から3位をキープしていた。

う~ん、せっかくここまできたんだったら優勝したい!


競技の度に一進一退の攻防が繰り返される中、後半最初のヤマ場、綱引き

の決勝が始まった。

1回勝ち進むごとに点数が加算されてゆくので、優勝すれば結構な点数に

なる。ライバルを引き離すには絶好のチャンスだ。これを制すれば最後の

総合リレーでも相当有利になるはずだ、行くぜ!


・・・が、私も選手として参加したこの綱引き決勝は、まさかの4位で終わって

しまった。

嗚呼!2大会ぶりのV奪還は、やはり無理だったのか・・・

いや、事実は小説より奇なり、何とこの綱引き決勝、ウチだけでなく

上位チーム揃ってどこも3位以内に入ることが出来なかったのだ。

総合優勝の可能性がないチームばかりが1~3位を独占したおかげで、

綱引き決勝という重要な競技での大きな順位の変動はなかったのだった。


そして


最後から2つ目の競技でイロドリ町チームは1位を獲り、最後のリレーを前に

遂に現時点でのトップに立つ!

とはいえ最終種目を待たずに優勝できるほど甘くはない。

2位、3位のチームとの点差は、有って無いような文字通りの僅差である。

要は、リレーで1位になれば逃げ切りで文句ナシの完全優勝だが・・・


泣いても笑っても最後の競技、運動会の華、総合リレー。

予選を勝ち抜いた6チームの10代から60代までの選ばれし

男女、計12人が入場門からグラウンドの中央へと進んでゆく。

「総合」としつこく連呼するだけの価値はある圧倒的な光景だった。


息子は10代男子代表で、午前中に行われた予選に続いて再び出場した。

前日の土曜日、クラブのサッカーで3試合をこなし、翌日にリレーの予選、

マラソン、そして決勝である。無尽蔵の体力を誇る小学生の男子でも、

さすがに疲労の色が見えはじめていたのか、唇がカサカサになってたのが

印象的だった。

このリレー、アンカーは60代女性だが、最初の走者は10代でからはなく、

たしか40代男子からスタートし、10代男子は最後のほうだった。


「位置について・・・よーーーい・・・」

スパーーーーーーーーーーーーーーーーーン!


最初の走者である40代男子6人が一斉にスタートする。

ドドドドドドドドド・・・・・・・

プロの陸上ランナーではない、単なる市井のオッサンたちとはいえ、大の

大人6人が全速力で走ると凄まじい地響きがするものだ。

午前中の予選の時には意識してなかったが、かなりの迫力である。


この年、大流行だった「あまちゃん」の軽快なメロディがエンドレスで

流れるグラウンドに歓声が湧き、それぞれのチームの各世代の選手たち

が全力で駆け抜けバトンを託してゆく姿は感動的だった。

が、しかし!

「?」

最初の40代男子のあと、どういう順番だったかは覚えてないのだが、

見ているうちに、少しずつ少しずつ差が開きだした。

それもウチのチームが抜け出すのではなく、逆に離され始めたのだ。

我がイロドリ町は足の速い「韋駄天」揃いだが、やはり他チームも

さすがに予選を勝ち抜いた強豪だ。気がつくと3位になっていた。

前を走る2人が果たしてライバルチームの選手なのか、それとも優勝の

可能性が消えてるチームなのかまではわからない。

一向に差が縮まらないまま、いよいよ息子にバトンが渡った!

6チームのうち既に2人はもう前を走っている、頑張れ!


ウワーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!


決して大げさな表現ではなく、我が町内のテントから叫ぶような

割れんばかりの大歓声が湧き上がった。


息子が走っている。裸足で。すごいスピードで。


まるで足に羽根が生えてるかのような凄まじい速度でグングンと前の

2人を追い上げてゆく。速い!

遂に2位を走る選手を捕らえ、抜いた。

うおーーーーーーーーーーー!行ったれーーーーーーーーーーーー!

テントの中はもう大絶叫である、トップの選手まであと少し!抜けるか?

だがいくら小学生とはいえ、全速力で走ればグラウンド1周は、あっと

言う間だ。残念ながらトップの子を抜くことは出来ず2位でバトンを託す。

続く10代女子の子も2位をキープしたまま快走し、今度はウチの町内の

切り札である30代男子の選手へ。

うわーーーーーーーーーーーー!

抜いた!

ついに抜いた!この人の尋常でない足の速さを知ってる近所の人は、

必ず抜いてくれると皆が信じていたが、期待を上回る別次元の走りで

トップを抜き去ると今度は逆に2位との差を広げ、かなりの余裕をもって

30代女子の選手へ。この年の体育部長の奥さんであるこの女性は、

選手で出れる30代の女性が他に居ないということで、旦那に説得されて

渋々引き受けたらしいが、どうしてどうして、4児の母とは思えない見事な

走りっぷりで、差を縮められることなくトップで60代男子にバトンを渡す。

最後の60代の男子・女子はさすがにグラウンド1周を走らせるわけには

いかないので、男子は半周、アンカーの女子は4分の1周だ。

2大会ぶりのV奪回の願いを込められたバトンが60代男子、そして

アンカーの60代女子へと託される。

下手な若者よりも元気な60代とはいえ、おじいちゃん、おばあちゃんが

全力で走ってるのは、いろんな意味でハラハラしたが、最後の走者、

60代女子の選手がゴールのテープを切った時、我がイロドリ町の

2大会、3年ぶりの優勝が決定したのだった。

何という劇的な幕切れだろうか。

気力と体力を使い果たし、プレッシャーから解放されて疲労で

へたり込んでいる息子が誇らしかった。


そして閉会式・・・

ほとんどの人たちが、この後それぞれの町内の公民館で行われる

「慰労会」という名の宴会の準備の為に閉会式を待たずに帰るので、

人影はまばらだったが、表彰式はキチンと行われた。

嬉しいことに、マラソンの3位と小学生の部の優勝がちゃんと表彰され、

小学生の部では優勝カップまで授与されていた。

「まあ、あのマラソンのおかげで優勝できたみたいなもんやからなぁ」

私の後ろに整列していた近所のおっちゃんが誉めてくれた。

なんの取り得もない息子ではあるが、この日に限っては、日本一の

息子である。

日本一・・・そう、優勝カップと表彰状を授与され、振り向いて恥ずかし

そうに照れながらお辞儀した息子の姿を見た時、30数年前の伝説の

名番組「びっくり日本新記録」のエンディングのア~ア~ア~ア~♪

というコーラスと、あの名調子が心の中に響き渡ったのだった。

「おめでとう!にっぽんいちーー!」


「オトンは厄年、息子は当たり年」

第2部「走れ息子」   完


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記録・・・それはいつも儚い

一つの記録は、一瞬のうちに破られる運命を、自ら持っている

それでも人々は記録に挑む

限りない可能性と、ロマンをいつも追い続ける

それが人間なのだ

次の記録を作るのは、あなたかもしれない



「びっくり日本新記録」エンディングナレーションより




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