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走れ息子 (前編) [オトンは厄年、息子は当たり年]

「オトンは厄年、息子は当たり年」

第二部 「走れ息子」



小学校6年生・・・6年間の小学校生活、最後の1年。

進級早々に行われた県内の「子供ずもう大会」で、全く予想も期待も

しなかった敢闘賞(団体の部)をいただき、幸先の良いスタートを

きった6年生の日々も、修学旅行、運動会と1つ1つ行事を終えてゆき、

夏休みが過ぎれば、残り半分である。

ちなみに今回の記事を書くにあたって、事実確認のため、息子に

「すもう大会って修学旅行の何日前やったっけ?」と尋ねると

「2日前。もう、体が痛くて痛くてたまらんかったわ」との事だった。

そりゃあ、修学旅行の2日前だったら誰も出場したがらないのも無理は

ない、廻し姿が恥ずかしいとか以前の問題だなコリャ。


2学期になってすぐ、町内の運動会が行われ、その1週間後に今度は

町内対抗での地区の大運動会が行われる。

こちらの地方は農家が大半で、秋は収穫で忙しくて親が応援に行けない

ということもあってか、学校の運動会は春のうちに済ましてしまうのだ。


町内のご近所さんが1つのチームになって参加する、地区の行事は

卓球大会、ソフトボール大会など、1年のうちに5回あり、大運動会は

その最後を締めくくる最大のイベントだった。


この、地区の大運動会・・・

私にとっては実に苦い思い出のある行事であった。

「まさかの結末(前・後編)」という記事でも書いたのだが、この前年、

町内の体育部長だった私はこの最後の行事で、前日の準備に集合

しないといけない日時をすっかり忘れてしまっていてすっぽかして

しまったのだ。

20チーム近い町内の各体育部長で、来てなかったのは私だけだった。

悪いことに、この年の大運動会の運営の総責任者がウチの町内会長で、

よりによって唯一来ていないのが自分ところの体育部長だというので、

それはもう「恥をかかされた!」と超ブチ切れ状態で、何故か嫁いでる娘

までもが「父の顔に泥を塗った!すぐ詫びに行け!」と電話をかけて

きたりしてもう散々だった。 まあ、忘れてた私が悪いのだが。

これで、まだ大会が行われていたら汚名返上のチャンスもあったのだが、

何と台風が接近中ということで最大・最後の行事が中止になってしまい、

名誉挽回のチャンスは訪れないまま最悪の形で、1年間の体育部長と

しての勤めを終えざるを得なかった。

もちろん、わざと準備に行かなかったわけではなく、仕事が終わって

帰ってきてからすぐ町内会長宅へお詫びに伺ったし、その当日は怒り

心頭だった町内会長も、年末の役員総会の慰労会の時には酌をして

「体育部長、1年間お疲れ様でした。いろいろ大変やったけど有難う」

と、労ってくれて、お互いに役目を終えた翌年からは、会う機会も殆ど

なくなった。

とはいえ1年間、慣れないながら頑張った体育部長としての最後が

悲惨な形で終わってしまったという、いわくつきの行事であったのだ。


あれから1年・・・

昨年の大運動会の当日は見事な快晴だった。

8月には熱中症警報が出されたほどの暑さだったので、9月も残暑

は厳しかったが、晴れ渡った空の色は真夏の時のそれとは微妙に

違った色に見え、わずかながら秋の気配を感じさせていた。

中止になった前年を除き、毎年、家族全員で参加していた運動会。

今回、長女は中学の吹奏楽部の秋の発表会の追い込みの猛練習

で来なかった。

運動会に限らず中学に入ってからは部活の練習が忙しくて、家族で

揃ってどこかへ行くという事がめっきり減ってしまった。

こうして子供も少しずつ成長し、やがて親元を離れてゆくのだろう

・・・などと思ってるうちに、開会式が始まろうとしていた。


(中編につづく)

























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