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痩せガエル軍団の奇跡 (エピローグ) [オトンは厄年、息子は当たり年]

こうして、息子がチームの大将として戦った「子供ずもう」の団体戦は、

たいした見せ場も、まさかの大番狂わせもないまま2回戦で姿を消した。


東京で行われる「わんぱく相撲」への予選も兼ねた大会であり、その

本戦への切符を賭けて、県内からツワモノ小学生が集うのだ。

この日の為に放課後のクラブ活動で相撲をやっている学校もあるだろう、

ひょっとしたら授業の一環として体育の時間に取り入れてるところも

あるかもしれない。体つきから廻しのフィット感まで全てが別次元だった。

そんなチームと戦って勝てるとは最初から思ってなかったので、まあ、

とりあえず修学旅行前にケガしなくて良かったと、胸を撫で下ろし、

個人戦を見ることなく家路に着き、用事を片付けていると、あっと言う間に

夕方になって息子が帰ってきた。

「ただいまー」

「おう、お疲れやったな」

「オトやん、見て見て!米もらってきたで!」

見ると息子は5キロサイズの米の袋を抱えていた。

「うお!? なんやそれ、参加賞でそんなん貰えるんか?」

「違うわいな、俺らのチームが敢闘賞に選ばれたんや」

さすがに、参加賞で5キロの米を全員に配る大会ってどんなんやねん、

って感じだが、それ以上にお前らが敢闘賞って何やねん!とツッ込んで

しまった。

「なんかな、試合のマナーとか礼儀が良かったチームが貰えるねんて」

「へー、マナーとか礼儀ねえ・・・って、お前ら2回戦で負けとるがな」

「だよなあ、なんでやろなー、不思議やわ」


確かに息子は、明らかに勝てそうにない相手に対しても、奇策を

用いることなく無謀にも正面からぶつかり、秒殺され、土俵の外に

投げ飛ばされても、キチッと挨拶して勝者に敬意を表していた。

が、参加約20チームの中で、わずか2回戦で消えた息子のチームが、

そんな立派な賞を貰えるほどのインパクトがあっただろうか。

開会式で息子のケツを触ってはしゃいでいた下級生の子(ナマケツ君)

に至っては、1回戦で土俵際まで追い詰められながら、器用に身体を

入れ替え紙一重で勝利した時は「バンザーイ!」と言ってジャンプして

喜び、2回戦で呆気なく負けた時は泣きながら土俵を降りて、その

可愛い天真爛漫さで観客を沸かしていたが、およそマナーや礼儀とは

縁遠い気がするし、他の3人も似たり寄ったりだった。


とにかく選考基準が謎のまま、全く予想外の有難い賞をいただいて

しまい、恐縮しきりだったが、アホほど米を食う我が家にとっては

5キロの米は無条件に感謝であった。


後日、個人懇談で相撲大会の話が出た時に、妻が、チームの監督を

務めた担任の先生に、何でこんな賞が貰えたのか聞いてみたそうだ

が、監督であった担任の先生も一応、息子の試合での態度は確かに

良かったと誉めてくれつつも、審査員の方々が実際何に感動して

選んでくれたかまではわからないと言っていた。


ただ・・・


6年生で誰も大会に出てくれる希望者がいない中、ウチの息子が

恥をかくのを承知で自ら引き受けてくれたおかげで、無理矢理に

他の子を指名せずに済んで本当に有難かったということ、そして

今回の相撲大会に限らず、5年生の時からいつも立場的に困って

いる時は、息子が出来る出来ないを考えずに率先して協力して

くれて、いつも助かっています、と、お礼を言って下さったらしい。

この言葉は親として嬉しかった。

1年経った今も、何で息子たちのチームが敢闘賞などという立派な

賞をいただけたのかは謎のままである。

しかし審査員の方々の中にはゲストで来てくださってた現役の力士

さんもおられたので、きっとこれは「トイレの神様」ならぬ、

「相撲の神様」からのご褒美だったのだろうと思うことにした。



閉会式で、副賞の5キロの米を持って写っている5人の痩せガエル

軍団の写真は、今も校長室に飾られているという。



これだけでも充分、1年間のいい思い出になるのだが、この

ささやかな奇跡はこれから起こる恩恵ラッシュの序章にすぎない

のであった。



「オトンは厄年、息子は当たり年」 三部作

第一部 「痩せガエル軍団の奇跡」 完


























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